「石田尚志in沖縄」製作日誌

石田尚志in沖縄―作品上映とライヴペインティングの二夜

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2011年06月02日

インタビュー「沖縄の光と影線描に」『琉球新報』2011年6月1日

昨日の『琉球新報』に、「石田尚志 in 沖縄」に際した、石田氏のインタビュー記事が掲載されました!
  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 09:33

2011年05月25日

報道記事「表現の原点に沖縄」『琉球新報』2011年5月25日

本日の『琉球新報』紙に、「石田尚志 in 沖縄」の沖縄大学図書館ミニシアターでの上映会の取材記事が掲載されました。
  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 23:33

2011年05月23日

「石田尚志 in 沖縄」ライヴペインティング レポート(3)

次に2回目のセッション。
今度は、壁に投影された石田氏の映像作品「三つの部屋」のシークエンスに沿うように、壁面に激しいペインティングが加えられていきます。
1回目のセッションとは打って変わって、非常にパッショネイティヴです。

描かれたブラッシュストロークは、噴霧器から放出された水によって消され、そこにさらに線を重ねるということが繰り返されます。

まるで激しい楽曲の指揮者のような身振りで、ストロークが壁に叩きつけられていきます。

2つのセッションを合わせて1時間半ほど、石田尚志の生身の身体を目の当たりにして、観客の皆さんはその光景を食い入るように見つめていました。
そのほか、会場にいらっしゃった観客の方々への限定の、シークレットの特別上映もあり、あいだにDJのプレイも挟みつつ、開演から6時間にわたる熱い夜が終了しました。

さて、「石田尚志 in 沖縄」、二夜にわたる極めて濃密なイヴェントは、全行程を無事に終了しました。
会場に駆けつけてくださった来場者の皆様、ご来場に感謝しております!!!

沖縄でのイヴェントは終了しましたが、このプロジェクトはまた別のかたちで継続していく予定です。
また追々、その後の展開については、本ホームページで情報を公開していきます。  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 21:43

2011年05月23日

「石田尚志 in 沖縄」ライヴペインティング レポート(2)

そしてこの夜の主役、石田尚志のライヴペインティングがスタートしました。
石田氏のパフォーマンスは、全部で2回のセッション。
まずは1回目のセッション。

ライヴカメラを片手に、テーブルの上にドローイングを行っていきます。

壁に投影されたドローイングに沿って、今度は壁面に直接線を引いていきます。
映像の線と実際に描かれた線、線と線が、そして、フレームとフレームが重ねあわされます。  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 21:20

2011年05月23日

「石田尚志 in 沖縄」ライヴペインティング レポート(1)

二夜にわたる「石田尚志 in 沖縄」。第二夜のイヴェントも無事終了しました。
盛り沢山に繰り広げられたパフォーマンス、写真を掲載しながらレポートしていきます。

まず、ゲストアクトの、尖鋭的な若手アーティスト、吉濱翔さんのパフォーマンスです。

日用品などを含む様々なオブジェから出る音をコンピュータで制御しつつ、音響パフォーマンスを展開していきます。

このようなオブジェが会場に散りばめられています。
あたかも沖縄の若いジョン・ケージ、とでもいうような趣きです。
このような緊張感あり、ユーモアありのパフォーマンスが、30分ほど続けられました。  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 21:05

2011年05月22日

「石田尚志 in 沖縄」作品上映+アーティストトーク レポート

「石田尚志 in 沖縄」の第一夜を、無事終了しました。
石田尚志の過去の主要作品、および、今年4月に沖縄の伊計島の砂浜で制作された新作「浜の絵」が上映され、とても充実した作品発表の場となりました。
作品上映の後、沖縄県立博物館・美術館の学芸員である豊見山愛さんと石田尚志氏とのトークセッションがあり、会場からの熱気のこもった質問なども含め、興味深いトークが展開されました。
22日の夜はいよいよ最終日、沖縄市でのライヴペインティングやゲストアーティストのパフォーマンスが繰り広げられます。
ぜひ最終日もお見逃しなく!
  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 02:03

2011年05月21日

「海坂を辿って――詩と絵画をめぐる対話」レポート

詩人の矢口哲男氏と、石田尚志氏との公開対談が、沖縄県立芸術大学で行われました。
詩はどこにあるのか、そして、絵画はいかなる所に存在するのか、実制作者の両氏のスリリングな言葉が交わされました!
  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 00:20

2011年05月20日

「生の力あふれる芸術 「石田尚志 in 沖縄」に寄せて」

いよいよ今日から「石田尚志 in 沖縄」がスタートします。
まずは関連企画の矢口+石田トークが沖縄県立芸術大学で開催されます!

さて、昨日の『沖縄タイムス』に製作委員の土屋が寄稿した文章を転載します。

「生の力あふれる芸術 「石田尚志 in 沖縄」に寄せて」 土屋誠一
 ことし4月初旬、晴れ渡った天候のもと、県内某所の砂浜で映像作品のための制作と撮影が行われた。砂上には作家自身の手によって、海からくみ上げられた海水で、次々に躍動する線が描かれていく。その線描の軌跡を、ヴィデオカメラのクルーが慎重に追っていく。春の陽光のなか、製作スタッフの面々がその様子を、固唾を飲んで見守っている。
 緊張感のある現場ではあるものの、そこに立ち会っている面々には、なんとも説明し難い肯定的で前向きな雰囲気がみちあふれているように感じられた。この制作現場に入る前の、たった数週間前に起こった、東北地方太平洋沖地震での想像を絶する災害によって、言い知れぬ憂鬱を誰もが感じていたさなか、芸術が今まさに生起しようとしている場に立ち会うことは、ひとつの希望を指し示していたように思われる。芸術は、現実の不幸や悲惨に対して、直接的には無力以外の何ものでもないにもかかわらず、しかし、未来に向けての生きる力を、これほどまでに力強く提示できるのだ、と。
 東京をその制作活動の拠点とし、国内外での評価も高い映像作家・美術家の石田尚志は、沖縄と浅からぬ縁を持っている。1972年生まれで、すでに短からぬキャリアを持つこの作家は、彼がまだ10代後半のころ、数年間沖縄に居住し、画家の真喜志勉氏から絵の手ほどきを受けていた。その後彼は、抽象的な線描によるアニメーション作品によってその作家としての評価を高めていくのだが、彼の美術家としてのスタートラインは、紛れもなく沖縄にある。
 今回、「石田尚志 in 沖縄」と題して行う2夜にわたるイヴェントは、この作家の主要作品を見ることができる機会である一方、優れた芸術家が作品によって沖縄とどう対峙するか、そのひとつのあり方が示される場でもある。もちろん、先に記した県内で制作された最新の映像作品も、世界のどこよりも先駆けて県内で初公開される。このような憂鬱な時勢であるからこそ、生の力にあふれる芸術の発生の現場を目撃していただきたい。

出典:『沖縄タイムス』2011年5月19日  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 09:13

2011年05月15日

第二夜 出演DJ決定

第二夜(5月22日)に出演するDJが確定しました!
第二夜の最新の情報を掲載します。

第二夜:ライヴペインティング+ゲストアーティストによるパフォーマンス+パーティ
 ライヴペインティング:石田尚志
 ゲストアクト:吉濱翔
 DJ:DJきらきら富山さん、DJ rainforest、吉濱翔

 会場:Zスペース(沖縄市中央1-6-17-3F)
 日時:2011年5月22日(日) 18時(24時頃終了予定)
 入場料:1500円(1drink付き)  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 06:53

2011年05月05日

対談テキスト再録「空間における“闇”の条件」(5)

様々な知覚の宇宙―子規、芭蕉、カンディンスキー、マレーヴィチ、そしてハンス・リヒター

石田:今回のインスタレーションではスモークが焚かれるわけですけれども、その煙が作っていく時間を改めて考え直すと、日本というのはそういうのはお得意ですね。なぜかというと、遠近法は大体雲でごまかしてきた民族なので。雲でごまかしたり、あるいは、もやの灰色の中で世界が成立する水墨画なんていうのは、まさにそうなんですけれども。奥行きというもののあやふやさが、全部逆転するように、すべての奥行きを内包させてしまうところが、とても好きな民族だったような気がします。煙とか時間が生成させる、いうなれば光と闇のはざまのような嵐の体験ですね。例えば夕方の台風なんかすごいですよね。例えば昼でも、嵐だと夕闇になったり、太陽の光が何だかわからない時間帯になったりするような。昼とか夜とかに分けられないような、そんなはざまの時間が体験できる。それについて一つ話したいことがあります。
 僕の中で四畳半を考えたときに、正岡子規を思い出したんです。病床六尺、要するに四畳半の畳の上で世界を成立させるという、もう一つ新しい時代の人間です。畳といっても半畳かどうかわからないですけど、まあ布団を敷いてるわけですね。それで僕は、そんな世界のあり様に立ち戻ったところで、いろんな俳句を思い返してみました。与謝蕪村にとても好きな俳句があるんです。「日の光今朝は鰯のかしらより」って。すごく好きなんです。それは節分なんですけど、門があって、そこに鰯の頭をポンとつけるのが、節分の祝いの仕方だったりする。今日は日の光がその鰯の頭にきれいに照っていると言っているだけで、なんにも面白くない俳句なんですけれど、とても好きで。もう一つ、光と闇ということを考える上で、とても好きな俳句がありまして、「橋なくて日暮れんとす春の水」というのがあるんです。「橋なくて日暮れんとす春の水」。つまり、「橋がないよ。日が暮れようとしているよ。川。」っていうことですね。僕はその字面だけを読んで、ものすごいなと思ったんです。川の成立というのを橋の不在によって説明しているわけです。橋の不在を言うということは、向こう側に行きたいわけです。向こう側に行きたいんだけど、なかなか橋がないよ、どんどん暮れていくよ、という感覚を歌っているわけです。ただただ「橋なくて」というところが言うというのが、とても面白いし、夕暮れの、どんどん世界が溶解していって、闇の中に呑まれていくような切迫感みたいなものが、とても美しい。
 蕪村であれば、目的地があって、目的地を探しているわけですが、そうではなく例えばどこかに行かざるをえないというか、逃げなければいけないような、そんな身体がまずあるとする。そこでは、それが畳の上であれ、あるいは盲人の食卓であれ、とにかく手を伸ばすこと、あるいは歩き出すことによって、宇宙が一つ一つ作られていく。このターナーの絵なんていうのは、まさに「橋なくて」どころの騒ぎではなくて、嵐そのものなわけですからね。ターナーが描き続けていた世界というのは、一方で突入したいんだけど、一方で逃げないといけないわけです。
 シャルダンとかあの辺の時代ならば、没入している人間を見るという体験によって絵画の成立ということを言っていたんだけれども、ターナー以降になると、絵を描くこととか、絵を見ること自体が没入になってくる。そこに多分抽象絵画の始まりとか、何かがあるんじゃないか。例えばこの嵐というのは、宇宙に呑み込まれる体験ですよね。
 僕がとても好きな画家、作曲家で、カンディンスキーとシェーンベルクがいます。これは、シェーンベルクの音楽会に行ったカンディンスキーが、その音楽会の体験を絵にした絵なんです。この黄色いものというのが、彼の中で降り注ぐ音なんです。ここにいるのはどうも聴衆らしい。ここにある黒いものは、多分ピアノ。さっきの嵐の話を、音の体験に変えることが可能だと思うんです。音というのは包まれる体験であり、見ることのできない体験の振動という意味においては、視覚の欲望としては最も遠いところにいるんじゃないか。20世紀の絵画というのはものすごい勢いで、音楽の視覚化ということの追究に費やし続けてきたのではないか。少なくとも1960年代、70年代までは絶対そうだったんじゃないかなと思うんです。
 この包まれる体験ということが、抽象絵画の始まりなんです。例えばこれなんかひどい絵なんですけれども、これは絵画の極限ですよね。絵画の本当に楽しい、愉快な絵です。実際のものを見たときに、本当に楽しいですね。方丈論というふうに考えると、一つの特別な領域まで行ったら、すごく幸せな瞬間なんじゃないかという気がするんです。もう一つ、全然幸せじゃない方向というと変なんですけれども、マレーヴィチという人がいます。この人も20世紀初頭に絵画を一から始め直そうとした人ですが、その際に、丸、三角、四角から始めるんです。この四角というものの延長として、まず十字を描いてみる。こういうことをやっていたのはいつかというと、1913年です。この四角形というものを、20世紀の一番最初の核にして、もう一度方丈の体験が、例えば嵐の体験につながるならば、その一方で宇宙の体験として四角形というのを作るとするならば、それが音楽の体験に近いというところも含めて、もう一度西洋の人たちが一生懸命、四角形という問題を通していろんな没入の体験、新たなるもう一歩を踏み込んでいく没入の体験を見直していったんじゃないか。
 その一つの例ですが、1921年にハンス・リヒターという人が「リズム21」という作品を作りました。この「リズム21」というのは、世界最初のアブストラクト映画といわれていましたが、最近の研究で21年じゃなくて23年だという説がちょっと出てきています。それはともかく、ハンス・リヒターという人はもともとダダイストだったんですが、ダダをやっていた人が、初めて抽象絵画の運動によって音楽をそのまま映画として提示して、演奏する抽象絵画のような試みを1920年代にやっています。これがまさに方丈だったということを、見ていただきたいと思います。しかもそれが、圭太君の光と闇の問題にかかってくるような気がします。
(約5分間映像)
 面白いのはこれを彼が作ったときに、フーガだと言っているんです。フーガ形式を絵画に持ち込んだ。絵画に時間を持ち込んだらこうなった。あの四角形が反復するということを、フーガと言っているのだと思うんですけれども。これを見て重要だなと思う点の一つは、様々な矩形が八方に消えていくものですから、これは遠近法という観点で言えば、反遠近法的空間だということです。一カ所に戻らずに、消失線がたくさんあるわけです。反遠近法の空間であるということが、ひょっとするとグレーゾーンの問題のもう一つ鍵になるような気がします。

経験の分裂と統合

 この話で、あと30分でも1時間でもいくらでも話せるという気もして、今ここで纏めちゃうのも、もったいないんですけれども。ともあれ、圭太君が試みていることというのは、自分自身の宇宙ということ、そして、光と闇というものを引き受けてみて、空間を成立させるときに正方形というものから、まさに一から全部やり直す、その途上の段階なんだと思います。あえて圭太君はそこにまだ身体も入れず、あるいは舞台の正しい見方、見手と作品の正しい関係というのを成立させないまま、ずっと続けている。その様態自体は、ある意味ではグレーであって、とてもユニークであって……。だから多分結論はないのかもしれない。結論はないんだけれど、そういう合間合間に、これが実験ということの本質だと思うんですけれども、その実験が成功か失敗かということとは別の話として、それを見続けるという豊かな体験が、今続いているような気がします。

土屋:ちょっと補足すると、さっき名前が出たクレーリーも、ターナーの絵について、カメラ・オブスキュラ・モデルを超える例として取り上げています。この絵を見てわかるとおり、これは空間の合理的な表象としては、すごくおかしいわけです。近景のところに、小さな人物群がウワーッと描かれている一方、後景にあたる自然の様は異常に大きく描かれている。しかも太陽をこんなに大きく描いている。つまり合理的な遠近法的空間が、この空間の中ではまったく成立していない。むしろこの空間は、遠さと近さとが圧縮されているというか、あるいはねじれていると言ってもいいのかもしれませんけども、そのような空間として描かれているわけです。
 このようなターナーの描き方を、ジャン・クレイという美術史家は、ターナーの絵が通常、ロマン主義的なサブライム(崇高)に結びつけられるものであるにもかかわらず、アッサンブラージュという言葉で説明しようとします。ご承知のとおり、アッサンブラージュとは20世紀の近代芸術における用語ですから。けれどもクレイが指摘しているように、アッサンブラージュと呼んでも良いような描き方が、実際に絵の中で行われている。つまり、相容れない複数の要素を、いかに1枚の絵画の中で統合するかという試みが、この絵画の中で行われているということですね。おそらく統合するための根拠というものは、一つはこのターナーの絵に関しては、遠近法的な奥行きを持った空間というよりも、むしろ平面性という言い方をしたほうがいいと思いますけれども、ある種の平面というものに準拠することによって、絵画の統一性というものを実現していると言えると思います。
 ともあれ、基本的に作品を作る、あるいは作品を見る経験は、単純に割り切って語れるはずはないわけです。複数の諸要素というものが、必ず絵画の中に描かれてしまうし、見る者もそれを見つけてしまわざるを得ない。さまざまな要素に分裂しているイメージを見てはいるんだけれども、自らの眼差しのあり方みたいなものを反省的にとらえつつ、再度自己を再構成していくということが、おそらくこのバラバラな要素に散らばってしまった絵を、統合的なものとして理解させる一つの要素だと思うんです。
 山本さんのインタレーションというのも、いろんな見方ができるわけです。つまり壁にじっと立って、光の移りゆく様を見たっていいわけですし、ひょっとするとそこで踊り出すような人もいるかもしれない。様々な経験の仕方は確かにある。けれどもそこで必ず要請されるのは、見る主体、あるいは作る主体でもいいですけれども、その主体がある種の反省を経た自己の再定義を行うような契機、あるいはそのような再定義というプロセスを要請するような作品こそが、優れた作品と言えるのではないでしょうか。

司会者:ありがとうございました。今お2人からお話伺って、私のほうでもたくさんのキーワードをいただいたと思っております。光そのものに関する言及や、作品の主体性、自分の主体性、自己の啓発、そういうキーワードがたくさん出てきました。この後インスタレーションを再開する予定ですので、お話の中にもありましたようなキーワードをご自身の中で持ちながら見ていただくと、また新しい発見をしていただけるのではないかと思っております。今日はお2人ともありがとうございました。
(了)  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 12:09

2011年05月04日

対談テキスト再録「空間における“闇”の条件」(4)

近代と世界の認識

石田:ロココやその時代、西洋の絵画にある光というものは、絶対的なものの表象だった。キリスト教なら、まず「光あれ」から始まったわけですから、光はまさに神そのものなんです。光が世界の成立の条件なんだという発想について、話を進めていきましょう。例えばフェルメールの絵画というのは、まず大体室内なんです。室内の端に壁がありまして、そこから光が入ってくる。その中で人物が何かをしている。例えば面白い作品があって、地球儀を見ている男の絵があります。これについて、光が入ってくる室内というそれ自体が、世界のメタファーだ、と書いているジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』という本があります。そこでは、イメージにおいて、光が世界なのだということが書かれている。
 ここでもう一つ別のルートとして、映像という観点で補助線を引いてみます。光というものを非常に重要視していたあの時代、光自体をどうやって見るかという思考と方法に関する技術は、カメラ・オブスキュラです。カメラ・オブスキュラの中に人間が入ることによって、もう一度世界を観察する。その世界の認識の技術というものが、世界を正しく認識する最もすぐれた方法であると、デカルトやいろんな人が触れている。
 ところで、ゲーテの「色彩論」という本の出だしのところで、グレーゾーンの話が出てきます。世界を認識するときに、漠とした世界の羅列をいったん全部光に還元して、像に置き換えることによって均一化させるわけです。それによって正しい世界のあり様が見える。カメラ・オブスキュラを使うということは、一点消失になるわけですから、完全な遠近法の空間がそこに成立するわけです。もう一つ重要なことは、没入の話と若干かぶるんですけれども、このカメラ・オブスキュラの中に入って世界を見る体験で重要だったのは、自分が介在しない世界の成立だったということです。要するに世界というものに自分が取り残されるような感覚です。自分が入り込まないで、純粋に観察する。自分が関わらないという姿勢だと思うんです。ここにも多分光の絶対性のイメージがあって、被造物としての人間、連れ去られるがままの人間であるというような感覚があるんじゃないかと思うんです。
 ゲーテの「色彩論」のなかに、すごく興味深い話があります。閉ざされた部屋の中に入ってみると、光の小さな穴が開いている。それは世界につながっている唯一の窓ですけれども、それ自体をずっと見続けて、そしてそれをパッと隠しなさい、闇を見なさいと言うのです。つまり、闇にもう1回目をそらしなさいと書いているんです。そうすると焼きついた光が目の前に出てくるんだけれど、それがいろんな色に変わっていく。その色について非常に細かく記述されています。それこそ同心円的に、周りに緑が出てきたり、その中が赤くなってみたりするわけですね。ジョナサン・クレーリーは非常に暴力的にではあるんですけれども、これを視覚のモデルのものすごく巨大な切断面であると言っています。これは光そのものを見て、そこから闇に1回戻ることによって、グレーゾーンにたどりつくということでしょう。それが意味するのはつまり、光が絶対的に外から来るものではなくなって、自分の内から再生産できるものになってしまったという認識の転換です。自分が再生産してしまう光、すなわち残像というものが、映像につながるものであるのだ、ということです。グレーゾーンという話で言えば、西洋というのは一生懸命グレーゾーンを探し出そうとしてきた歴史かもしれない。
 東洋と西洋でどっちが優秀かみたいな話をするのは、全然有益なことではないけれども、ともあれ日本は、遠近法というものをなかなか発達させなかった国ですね。それにはいろんな説があるんですけれども、考えてみると確かに光というもの、あるいは空間の正しい把握に対する厳密な欲望というのは、そんなになかった国だということが言えると思います。例えば絵巻物みたいに、時間をひとつの画面にそのまま全部入れてしまっても別にいいじゃない、むしろ絵なんて時間と共にあるものじゃないの、といったように。
 ところでいま会場の、土屋さんが操作しているPCの画面が投影されているスクリーン上に、ターナーの画像がちらちら見えていますが、話を土屋さんにバトンタッチしていいですか?

土屋:いやいや。なぜターナーの画像を用意してきたかというと、最近石田さんがロンドンでターナーを大量に見てきたという話を人づてに聞きまして、石田さんがターナーの話をなさった際に対抗するために、一応図版を仕込んでおいたというだけですよ(笑)。むしろ、石田さんのターナーをめぐるお話をお聞かせいただければ。

石田:光そのものを見てしまうというような体験の中で、光自体が自己生産してしまうようなイメージが行われて、光そのものというものを、どうやって画家が描くかというか、そういう冒険が19世紀の始めに始まりました。そんな中で、ゲーテの「色彩論」を一生懸命読んでいた画家がターナーなんです。そのターナーの絵を、たまたまこの間テート・ブリテンに行ってたくさん見たんですけれども、びっくりする作品に出会いました。
 これは『光と色彩』という作品です。この作品には『(ゲーテの理論)』という副題がついています。ゲーテの理論をそのまま絵にした作品だということで、まさに正方形の絵画なんです。これを見て、ターナーというのはすごく大きな位置にいるのかもしれないと思いました。言うなればこれは一つの目そのものであって、何か還元していく――さっきのミニマリズムや、あるいはキュビスムもそうですけれども――西洋の思考のラインから言うならば、物語に頼るのではなく、あるいはいろいろな象徴形式として読み取るものでもなく、世界そのもの全部そこに集約させてしまうような絵画の欲望がもし始まったのだとするならば、ターナーとかがかかわってくる。キュビスムの画面も円だったり楕円だったり、正方形に近づいていくんです。光と闇という二項対立では成立しえない絵画の歴史には、絶対正方形というものが出てくる。何となくそんな気がして、ダーナーだなと思っていたわけです。
 一番最初に、宇宙がもし成立するとするならば、イメージとしては手が届く範囲の話だという、そんな話をしました。自分の周りに宇宙があるんだと考える一方、宇宙の途方もない広がりという、手が届かない、この先には何もないかもしれないものに対する、どこまで届くだろうかという欲望がある。一番最小限のミニマルなものを方丈や円だとするならば、その無限の同心円上に宇宙を想定することもできる。その感覚を僕はターナーの絵を見て、非常に強烈に感じたわけです。それにかかわる話をつなげると、ターナーっていう画家は、嵐ばっかり描くんですよ。
 もう一度『光と色彩』に話を戻しますと、これはまさに嵐の感覚です。嵐を描くというのは、これはどう考えてもおかしなことなんです。なんでかというと、世界を見るというのはある距離を伴って観察するわけです。ところが嵐を描くというのは、嵐のただ中に入ってしまうわけです。ただ中を描くというのは、ある種不可能なことです。ただ中に入ってそれを見る、しかも嵐ですから遠くは見えないわけです。こんな問題と同時に、近代という問題が始まっていて、例えばターナーの有名な作品だと、蒸気機関車が橋をずっと走ってくる様子を描いている作品があります。ちなみに、これを夏目漱石が1901年に見ていて、漱石はかなりびっくりしています。ともあれ、煙や大気のような不定形なものには時間が含まれていて、視覚を固定させないものであるし、奥行きが遮断されるというか、奥行きが成立しない。あるいは、さっきの盲人の食卓の、あのテーブルの状態に近いような気がする。ある意味で宇宙を近づけてもう一度見るというか、宇宙の只中の体験としての絵画が、ここに始まっているような気がするわけです。只中の体験の絵画というものを描き始めて、宇宙をその中に全部入れ込んでしまったら、それはある意味では絵画の不成立が始まってしまう。見るという体験を超える絵画が始まってくるんじゃないか。そんな点が、またグレーゾーンの話に重なってくるような気がします。  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 09:07

2011年05月02日

対談テキスト再録「空間における“闇”の条件」(3)

客体と空間

土屋:ともあれ、空間ということについて今度は別の角度から考えてみましょう。ここでは例として、アメリカの1960年代頃の美術のなかから、いわゆるミニマリズムというものについて、触れておきたいと思います。これは、ロバート・モリスという、ミニマリズムに区分されるアーティストが1967年に作った作品です。一般にミニマリズムとは、美術作品を構成している要素を抽象化、あるいは還元化していくものとして知られています。美術作品をポンジュースみたいに濃縮還元していくとこんな形になりました(笑)、というわけですね。クレメント・グリーンバーグ的なフォーマリズムのロジックに基づくならば、絵画が絵画である条件を突き詰めていくと、結局四角いフレームしか残らない。それだけで絵画の必要条件を満たしているわけですから、あらためてそこに何かを描く必要はなくなる、という極端な話になる。ゆえにミニマリズムは、フォーマリズム的な美術の見方というものを、極限まで推し進めたものであると言える。
 ミニマリズムの隆盛期の同時代に、マイケル・フリードというアメリカの美術評論家・美術史家がいます。フリードはミニマリズムに対して、『芸術と客体性』というテクストのなかで非常に強く反対します。フリードがミニマリズムの美術作品に対して指摘したのは、それが「リテラリズム」、つまり「文字通り主義」であるということです。フリードは、リテラリズムは劇場性、すなわちシアトリカリティに行き着いてしまう、と言う。どういうことかと言うと、まさにこの作品を見ればわかるとおりに、確かにこの作品は、この形がこの形であるという、ある種の同語反復性に支えられて成立しているかのように見える。しかしながらフリードはそうではないと批判するわけです。この作品は比較的典型的なんですけれども、この作品を作品として成立させているのは、この作品がこういったシェイプを先験的に持っているがゆえではない。そうではなくて、ここに観客あるいは観者というものが参与することによって、初めて作品というものが事後的に成立している、ということをフリードは言うわけです。そしてそれがいかん、と言うわけですね。空間の中に作品が置かれて、そこで観客が参加することによって初めて成立するような美術作品はだめだと言うんです。また、フリードがミニマリズムの傾向に対して劇場性という言い方をもって批判したのは、まさに劇場という言葉が演劇のジャンルに属するものであるように、美術とは関係ない他のジャンルの夾雑物が作品の中に入っているゆえである、というわけです。

自律性と没入(アプソープション)

 では良い作品を、良い作品たらしめている条件というのは一体何なのか。フリードが言うには、ある種の作品を経験するときにおいては、瞬間性、現在性あるいは無時間性が重要であると主張します。つまり瞬時に作品の全貌というものが把握されるような作品でなければならない、というわけですね。ところで、瞬間性か、あるいは演劇性かみたいな議論というものは、ミニマリズムの時代に始まった話ではありません。例えばこれは有名なラオコーン像ですけれども、このラオコーン像に対して、18世紀の啓蒙思想家のレッシングによる、『ラオコーン』というテクストがあります。そこでは、文学あるいは詩、演劇のようなジャンルは時間芸術であるとされ、一方彫刻や絵画などは時間芸術ではない芸術である、とされます。つまり芸術という広い枠組のなかに様々なジャンルがあるわけですけれども、その諸ジャンルをきちんと弁別をしましょうという話が18世紀ぐらいに既に起こっているわけです。
 さて、瞬間性や無時間性というものが、芸術を良き芸術たらしめている、とフリードは言うわけですけれども、そこでは一体何が主張されているのか。それは、他のジャンルに依存することなく自律する美術作品、というヴィジョンです。ミニマリズム批判ののちフリードは、ある種の自律的な空間というものを、絵画あるいは美術というものがいかにして形成してきたかということを、歴史的に辿っていきます。例えばこれは、18世紀のロココの時代に属するシャルダンの『シャボン玉を吹く少年』と題された絵です。この絵は観者の存在に依存することなく、絵画の表象というものが自立していると見ることができる。葦の管か何かを使ってシャボン玉をふくらましている少年の視線は、シャボン玉がふくらんでいる様に注視している。後ろに座っている子も同様に、シャボン玉に眼差しを注いでいる。このような様態をフリードは、アブソープション(没入)という言い方で説明します。どういうことかというと、少年はシャボン玉に注視することによって、この絵に対峙している観客の存在をあたかも忘れているかのように、シャボン玉に没入している。そのことによって、観客の視線に必ずしも依存することのない、絵画の表象あるいは絵画の空間というものが成立しているというわけです。このような没入の表象に即してフリードは、ダヴィッド、ジェリコー、あるいはクールベ、そしてエドゥアール・マネといった名前を挙げていきます。美術というジャンルにおける自律した表象を形作っていく歴史の系譜というものを、フリードは辿っていくわけです。
 さらにフリードは、様々な時代の絵画にアブソープションという用語を適用させていきます。これはバロックの時代に描かれた、カラヴァッジョの『ナルキッソス』という絵ですけれども、フリードが言うところのアブソープションというものが、この絵画では典型的に実現されている。ナルキッソスが水面に映った自分の姿に見惚れて、フリーズしてしまっているという状態が描かれているわけですね。この絵は二重の意味で自律的な空間を形成していると言うことができる。一つは水面に映っている自分の像に、見ている主体というものが没入しきっているということ。あともう一つは、この絵は非常に興味深いことに、ほぼ画面の中央で折り返すかのように、空間を切り閉じているということです。ちなみに余談ですけれども、このカラヴァッジョの絵を精神分析的に読むという見方もあって、ここではナルキッソスの足の膝がむき出しになって描かれているわけですけれども、精神分析的な解釈によれば、これは勃起したペニスの代理表象であるという読み方があったりします。なぜカラヴァッジョの話をしたかというと、光と闇というお題でベタに思いつくのがカラヴァッジョだということもあるんですけれども(笑)、しばしばカラヴァッジョという画家は、光と闇という特性によって語られます。これはカラヴァッジョに限らず、バロック絵画一般において多く適用されることではありますが、西洋的な光と闇というものの理解のための、手がかりにはなるでしょう。
 さっき谷崎が、いわゆる近代的な光と闇という二項対立を前提としつつ、そこから遡及的に日本の空間の特質のようなものを、フィクションとしてではあれ形成したのとは対比的に、大雑把に言うと、西洋における光と闇というものは、二元論的な対立項として捉えることによって空間を生成させているのだと言うことができるでしょう。しかし谷崎が読むところの日本的な空間というのは、そういうものではない。光/闇といった二元論ではなく、その両者を含みこむグレーの領域こそ、日本的な空間をジェネレートするマトリックスとして、おそらく谷崎は考えていたのではないか。

石田:今途方もないスピードで展開されたお話なんですけれども、ここは造形表現学部で、美術史はみんな弱いと思うので、今の土屋さんのお話を少し僕のほうでフォローさせてもらいます。

形式主義の限界

 多分今の話の一つには、圭太さんがやっているインスタレーションの、この展示形態自体が非常に生成的なもので、恒久的なものではないという点が関係してくる。いわば形式から逃れようとしている作品だということがまず言えると思います。逆に言えば、形式には絶対に陥らないぞという意識が見えている。
その辺で振り返ると、先ほどのフリードの話というのはまさに形式論の話なんです。簡単に言うと、その前にグリーンバーグという人がいまして、彼が言うには壁に何かを掛ければ、それはもう絵画だと言い切るしかないんだ、そうでないとモダニズムというのはやっていられないし、突き詰めていけないんだ、ということだと思います。つまり彫刻であれ絵画であれ、いずれにせよそのジャンルの中だけで進化し続けていく、といった夢みたいな話が、1960年代、70年代まであった。逆に言えば20世紀の美術の半分以上は全部それだと言い切れると思います。その後の時代にわれわれはここにいるのですが、その臨界点のような作品としてミニマリズムの作品があって、限界を提示するという意味においては、これがまた不思議なことに大体正方形になるんです。
 一つ言えるのは、芸術作品としての自律性をここまで突き詰めると、これは単に美術という制度によるものでしかなくなってしまうわけです。例えば展示スペースに置かれれば、それは作品になる、といったように。おもむろに箱を置いただけのようなものでも作品になり得る。ともあれ、一つの限界の提示という意味においては、正方形というのは絶対的な形、形の始まりみたいなものとしてイメージされていたのだと思います。
 ところがここまでやってしまうと、もう作品の成立というのは、劇場みたいなものでしかないのではないか、ということになる。そこでは作品と、見る者の役割が明確に分かれていないと成立しない。それを超える一つの例として、没入というイメージが出てきたのです。ただ、この没入の問題というのはとても難しい。  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 20:56

2011年05月01日

対談テキスト再録「空間における“闇”の条件」(2)

「陰翳礼讃」における知覚

土屋:では、かつてはどうだったかということなんですが、谷崎が言うには、ある種の薄暗さの空間というものが、日本の空間の特徴だった、みたいなことを言うんですね。この点について谷崎は、具体例を挙げながら論を進めます。例えば、料亭に食事に行く場合。そこでは、行燈の光がちらちら点いている非常に薄暗いところで、食べ物が次々と出されるわけです。薄暗いわけですから、食べ物の色とか形というのははっきり見えるわけではない。けれどもその薄暗さゆえ、そこには日本に特殊な視覚というものが存在している。そしてそれは、日本特有の美意識というものに結びついている、という言い方をするわけです。それで、谷崎はお吸い物の話をするんです。料理のなかでお吸い物を出されるわけですが、そのお椀は漆塗りでできていて、茶色いわけです。茶色いから、そこに何が入っているかよくわからない。何が入っているかよくわからないんだけれども、口につけてみる。そうすると、視覚的にはアモルフな状態から、味覚が立ち上がる。それが日本的な食事における、美意識につながっているのだ、という話をするんですね。
 それから、谷崎のこのテクストで面白いのは、トイレの話です。谷崎が念頭に置いているトイレとは、いわゆる厠です。水洗ではありませんし、木製ですから排泄物が飛んだら木に滲み込んだりもする。衛生面から考えたら必ずしも清潔ではない。しかも厠がある場所は、居住空間からちょっと離れた所、つまりいわゆる「離れ」にあるわけです。夜更け時に、離れまでトコトコ歩いて行って、そこで大便をする。つまり、暗闇の中でしゃがみこむわけです。そこには光もほとんど射し込んでこない。そのように視覚が遮断された状況にいると、周りの虫の音とか、あるいは、厠特融のなにか香ばしい香り(笑)が、知覚として立ち上がってくる。それがある種の美意識や趣向を促すような空間であるという。つまり谷崎は、いわば知覚が織りなすコスモロジックな空間として、トイレを見立てているわけです。今日でも、トイレに座っていると、アイデアが浮かんだりするという話をよく聞きますけど、それとよく似た話です。それはともあれ、谷崎は、タイル張りや陶器でできた白いピカピカのトイレが、明るい照明によって空間全体を均一に照らされているというものではなく、古来からの厠のほうが、むしろ日本の美意識に近いと言うわけです。
 もう一つ、食べ物の話で、さっきはお吸い物の話でしたけども、今度は味噌汁の話をするんです。味噌汁もお吸い物と同様、漆器の中に入っているわけです。しかも味噌汁というのはお湯で味噌を溶いたものですから、濁っている。その濁った味噌を、暗闇の中で汁としてすするわけです。そこにもある種の豊かさというものがあると主張しています。谷崎の小説を読んだことのある方はお分かりだと思いますけれども、谷崎は、ある種のスカトロジックな趣味、あるいはマゾヒスティックな趣味があるわけです。そのことを踏まえると恐らく、谷崎が厠の話をしてから味噌汁の例を持ち出すのは、厠という排泄物が溜められる澱のような場所と、味噌汁という混濁した液体を、ある種確信犯的にアナロジカルに結びつけることを狙ってのことでしょう。こんなこと言うと、味噌汁飲めなくなっちゃいますけど(笑)。
 ともあれ、このような感性を日本に固有の美意識であると、谷崎を例にしながらお話しましたが、注意しておかなければならないのは、谷崎が言う「日本に固有の美意識」とは、必ず西洋との対比おいて遡及的に見出される「日本の美意識」であるということです。ゆえに谷崎は、所与として日本という地点に立って思考しているわけではない。西洋との比較、あるいは西洋の視点に立つことによって、いわば事後的に日本の文化の特殊性いうものを立ち上げる、といったようなことが目論まれていたと言えるでしょう。

グレーの空間

 谷崎が考える日本の空間とは、均等に空間すべてが明るく照らされてどこにも陰がない――美術では「ホワイトキューブ」という用語がそれに対応するでしょうが――ような均質空間ではなくて、むしろ光と闇のあわいにある中性的な空間、言い換えればグレーの空間と言ってもいいのかもしれないし、あるいは光でもないし闇でもないような空間と言ってもいいのかもしれません。確かにそこには光は射し込んでいるんだけれども、それは非常に幽玄な光であり、必ずしもパッと明るいものではない。むしろ闇の中に、微かに明るさが触知できるような空間として、日本の空間というものがある。さっきの味噌汁の話や厠の話のように、視覚的にとらえられない空間、あるいは視覚的に瞬時に把握できないような空間において、五感を駆使して感知することによって初めて、空間めいたものが事後的に立ち現れてくるというように、日本的な「陰翳」というものを、いわば知覚を生成するマトリックスとして、谷崎は考えていたのだと言えるでしょう。このような話は、今回のこの光を使ったインスタレーションにも、ひょっとしたらつながる話かもしれません。

石田:今土屋さんがおっしゃったところを、あの文章の中で僕も一番興味深く読みました。お吸い物は透明だから、あるかないかがわからないという……。黒い漆器の中にどこまでそれが入っているかということから、明確ではないものの様態について記述された箇所が面白かった。ただ、あれを読みながら、ヨーロッパのほうが暗いんじゃないかな、なんていう思いもあった。スタンリー・キューブリックの「バリー・リンドン」なんかを見ればわかりますけれども、がんばったところでろうそくの量だけの光ですからね。谷崎のそういう対比は、近代という概念上、近代をいかに日本が輸入していったかという話になるのではないか。だからいわゆる東洋と西洋とは、一概には言えないんじゃないかなと思います。
 今「バリー・リンドン」のを例に出しましたけど、映画の中で化粧の話が出てくるんです。いわゆる日本の化粧というのは、真っ白けにする。あの真っ白というのは蛍光灯では不可能で、あれはろうそくの光の中でゆらめくから美しいのだと。これだってヨーロッパも全く同じことだと僕は思いました。ただ、期せずして、僕がさっき盲人の食卓をやったわけですけれども、土屋さんがもう一つ別のルートから食事の例を持ち出して話が始まったのは、すごく面白いと思いですね。
 グレーゾーンとさっきおっしゃいましたけれど、光と闇ということだけでは区切れないような場所というか、その辺におそらくもう一つの主題、土屋さんが次におっしゃる話につながっていくんじゃないかと思います。

土屋:補足してくださってありがとうございます。さっきちょっと触れましたが、谷崎は西洋的にモダナイズされた視点から、つまり外部の目から日本の空間の特質みたいなものをあぶり出しているわけで、いわばそれは捏造された、フィクティヴな「日本」の美意識なわけですね。勿論、谷崎が言っていることを読むと、なんとなく納得させられてしまう感じはあるし、実際に今生きている私たちがなんとなく想像してしまう「日本」っていうものが、このような谷崎的な物言いに顕著なレトリックに基づいているのかなという感じはあります。  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 21:52

2011年04月30日

対談テキスト再録「空間における“闇”の条件」(1)

石田尚志氏と製作委員土屋の両名によって、2007年に実施された公開トークの対談録をアップしていきます。
この対談は、照明技術を使用するアーティスト山本圭太氏の作品をめぐってのものですが、石田尚志という作家の考え方の一面を、垣間見せる内容になっています。
この対談が文字化され掲載された媒体は、一般に流通するものではありませんでしたので、この再録は結構貴重なものです。
下記に、このテキストの掲載元の書誌情報を記しておきます。
・福島勝則監修『Concentric circle 方丈の美学 平成19年度 多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科 共同研究報告書』多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科研究室、2008年、30-55頁。
長いテキストですので、複数のエントリに分けて、掲載していきます。

土屋誠一・石田尚志「空間における“闇”の条件 公開トーク―2007年12月1日収録」

司会者:それでは2007年度映像演劇学科の共同研究「Concentric circle」のプロジェクトの一環として、今日は美術批評家の土屋誠一さんと、美術家であり映像作家である石田尚志さんをお招きして、「空間における“闇”の条件」をテーマに公開トークを開催いたします。それではよろしくお願いいたします。

石田:石田と申します。今回は山本圭太さんの作品の、3回目の展示にあわせての対談です。展示を通じて、光のある領域の成立、あるいは、ある領域の始まりの場所といったような、そういうものを見るきっかけを、皆さんと共有できたわけです。これは、方丈という言葉を通して闇と光、あるいはひょっとすると東洋と西洋という問題、そして、そもそも空間というのは一体何なのか、それから、身体というのはどういう問題を含んでいるのか等々、様々な切り口を考える場として場所そのものを提示する、そのような試みとして展開していくのがこのプロジェクトです。このプロジェクトはまだ途上なわけですが、われわれはそれを見て、あれは一体何なのだろうかということを考えていく場所になればなと思っています。
 僕は、ここの造形表現学部の映像演劇学科で、圭太君とは日々接していまして、お互いいろいろな話をしている。彼の考えていることを、その作品や、言葉から少しずつ聞き出しているわけですね。そういう意味では僕のほうが先に話を進める立場かなと思いまして、その辺のところから話を進めたいと思います。

「方丈」と世界の認識

 先日、圭太君に、「方丈って何?」と聞いてみました。それで彼は、「方丈記」なんだ、と言ったんです。つまりそれは、一つの場所、そして、ある限られたエリアですべてが、いわば宇宙が成立するということなのではないか。例えばこんな事態をイメージします。畳のあるところに机を置いて、そこで何かを書き連ねていく。そこではすべてが文字というものには還元され、そこにすべてが収斂していく、そんなイメージです。しかも、たった半畳ほどの場所で宇宙が成立するわけです。実際彼自身から、「方丈というのは宇宙なんだ」という一言を、つい先日聞きました。
 畳の上で手を伸ばして、手の届く範囲で世界を区切っていこうとすると、それは一つの円の形を作ると思うんです。手というのを起点にして腕を回せば、円ができるわけですね。角度を変えて腕を回しても、そこにも一つの円ができるわけです。それは、変な言い方になりますけど、円がつくる方丈とでも言えばよいでしょうか。そこでは、円と正方形は同心円上に成立する。そんなところに、「方丈」の一つの入り口があるかもしれないなと思いました。それで、手を伸ばし、手が届く範囲での宇宙に対して、手の届かないところのもう一つの宇宙があるとして、それらが入れ替わるとしたらそのきっかけというのは、一体何なのかなと考えてみたんです。
 ややこしいことに、圭太君はこの試みにおいて、光と闇という問題を設置しているわけです。それは、見える場所と見えない場所、あるいは見ることの閾から発生する、一つのイメージと言いましょうか。例えば展示の空間を見ると、四つの光源によって線が引かれている。その四つの光による線が、一つの結界のような形でクロスし合ったところに方丈ができるわけです。先ほど申した手が伸びていくイメージと、それとは別に光によって区切られていく方丈のイメージ。そこでは結界だけが光であって、あとはすべて闇に呑まれている。1回目の展示のときもそういったイメージが強くて、会場全体が真っ暗なところから始まって、煙がもうもうとしている中に線がゆっくり引かれていくんですね。線は一次元ですが、そこからもう一つの線によって面が形成されていく。会場にはスモッグが焚かれているので、面が四角形を作るのが見える。そして、面と面が合わさると、立方体になるわけです。そこから、柱のような感覚が生まれます。さらに言えば、身体的な奥行きとでも言うべきものが、そこに成立しているような気がしました。光によって身体的な奥行きを再確認すると同時に、そこには光が遮られる場所による空間という問題も含まれているように思います。
 今申したような、手の話と、光と闇との問題がかかわるものとして、そんな問題に対して明確な問いかけをしてくれる絵として、僕はピカソの「青の時代」ある絵を思い浮かべます。ピカソという画家はキュビスムを推し進めることによって、絵画をある意味ものすごい形で崩壊させた男ですけれども、一方では、崩壊させた後にもう一度、20世紀を新しく始め直すきっかけを作った人でもあります。これはピカソの1903年の『盲人の食卓』という作品です。
 この絵でまず驚くべきことは、この画中にいる男は、陶磁器の存在を手を伸ばすことによって認識することです。だから闇の中に彼はいる。けれどもその闇の中で、まさに方丈のような机に対して、何か一つの宇宙を再確認するような、いわば方丈の中の宇宙を自分の手によって探し出していくような仕草が描かれています。手を伸ばすことで宇宙に気がつく、手の届く範囲に宇宙があるというようなイメージで考えると、この絵がふっと思い浮かぶんですね。
 今回改めてこの絵を見直してみてびっくりしたのは、この絵自体、全くの正方形だったことです。ピカソの「青の時代」からもう少し後の、抽象絵画の時代になると正方形のタブローがしばしば現れてくるんですが、正方形の絵画というのは結構珍しいことです。人間の目というのは、眼球がそうであるように、円で世界を見ている。だけど人間の目というのは二つありますから、その歪みの中で奥行きを作っているわけです。その奥行きを作る、重なり合った正方形というのが、長方形だと思うんです。実際、長方形の絵画の歴史のほうが、はるかに長いわけです。映画を見ますと、映画館のスクリーンというのも大体長方形ですね。そんなことを考えると、ピカソが正方形の中に手を伸ばす盲人の世界を描いたことが、とても面白いなと思ったわけです。
 まずは話の導入として、この絵を挙げてみましたが、今回の話の中では絵画の問題は無関係ではないような気がします。方丈ということで考えると、四角い面の中で、世界を表象しようとしてきた絵画の歴史というのは、圭太さんの試みとも繋がるんじゃないでしょうか。

土屋:土屋です。今、石田さんから、今回の山本さんの作品の基本的なコンセプトが「方丈記」に基づいているというお話がありました。ご承知のとおり「方丈記」は13世紀、鎌倉時代に鴨長明によって書かれたものです。そこでいう「方丈」とは、組立てが簡便で、バラして持ち運びも可能だという、いわばモバイル・ハウスのようなものであるわけです。もう一つ、四畳半ということでいうと、いわゆる茶室は、村田珠光という坊さんが室町時代に、今に至る茶室の原型を作ったと言われています。その後16世紀、安土桃山時代に至り、千利休が作った「茶の湯」という形式が完成されていったというような歴史がある。山本さんの作品は、そのような歴史性をふまえつつ、日本の空間の経験の特有な条件というものを、光を使用してあぶり出すという試みであると言えるかもしれません。
 さきほど石田さんが手を伸ばした範囲の空間という話をなさっていましたけど、畳とはまさに、人体のスケールに基づいて作られている。つまり一畳分あれば人一人が寝ることができるわけです。人体のスケールということで西洋の例を出せば、レオナルドの人体比例図のようなものを思い起こしてもよいでしょう。人体のスケールやプロポーションを基本的なモジュールとして、形体を考えるという歴史が、西洋にも根強くあるわけですね。人体のスケールやプロポーションを基本的なモジュールとして、空間あるいは形体というものを決定するという、近代以降の典型的な例ですけれども、例えばこれはル・コルビュジエの『モデュロール』です。このような西洋的な人体のスケールやプロポーションを基礎としたモデルというものと、東洋における畳という、同様に人体のスケールやプロポーションを基礎としたモデルとは、形体の決定という点において一致している。ただ、確かに原理としては同じなのかもしれないけれども、東洋と西洋という全く違う文化圏に基づいているわけですから、目指す理念としては異なると言うべきでしょう。
 今回の対談のテーマが「空間における“闇”の条件」という話でどうでしょう、というオーダーを頂いて、パッと思いついたテクストがあります。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』というテクストです。これは1933年、昭和8年に書かれたもので、内容としては陰翳を礼讃しているわけです。そのまんまですけど(笑)。で、具体的に何を言っているかを、ごく大雑把にお話していきましょう。まず谷崎は、日本の住空間の環境が変容してしまったと言うんですね。何が変容したのかというと、光が変容したと言うわけです。日本が近代化の流れのなかで、西洋的な光――例えば電灯とか、蛍光灯といったものですね――が導入されることによって、日本の住空間が元来持っていた空間の明暗という特質が、ドラスティックに変化してしまった。西洋的な光が導入されたことはともかく、日本の家屋――数奇屋様式と言っていいでしょうけど――と西洋的な光源というものは、根本的に相容れないということを、谷崎はこのテクストの冒頭で述べています。  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 11:55

2011年04月27日

チラシ出来

「石田尚志in沖縄」のチラシ納品なう!
沖縄県内を中心に配布されますが、首都圏などの主要アート関係スポットでも配布予定。
見かけたら、ぜひお手に取ってみてください!
  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 23:46

2011年04月15日

開催概要「石田尚志 in 沖縄」

いよいよ、このプロジェクトの開催情報を公開します!
皆様、ぜひご来場くださり、創造の現場を目撃してください!!

石田尚志 in 沖縄――作品上映とライヴペインティングの二夜
Takashi Ishida in Okinawa—Two Evenings: Screening & Live Painting

開催主旨
 有機的な線描による抽象絵画のアニメーションの作品よって国内外で著名な、気鋭の映像作家・美術家である石田尚志。現在東京を制作拠点とする石田が、多感な10代後半の時期、沖縄に在住し、作家として活動を開始していることは、あまり知られていません。この度の企画は、既に短くはないキャリアを形成してきた石田があらためて沖縄という地と出会い直すことにより、新たなる芸術創造の発生の現場を立ち上げることを目論むものです。
 作品上映では、石田の代表的な作品はもとより、沖縄で制作された最新の映像作品が、いち早く上映されます。また、ライヴペイティングでは、「画家」としての石田の側面が、絵画を描く具体的な身体を伴って展開されることになります。その他、作家自身によるアーティストトークなど、多角的なアプローチによって、石田尚志という作家の過去と現在が明らかになることでしょう。二夜連続の濃密で刺激的な空間を、是非体感してください。

開催概要
第一夜:作品上映+アーティストトーク
 上映作品(予定):「フーガの技法」(2001年)、「絵馬・絵巻2」(2006年)、「海の映画」(2007年)、「Reflection」(2009年)、「(新作)」(2011年)
 アーティストトーク:石田尚志+豊見山愛(沖縄県立博物館・美術館主任学芸員)
 会場:沖縄大学 図書館ミニシアター(那覇市字国場555)
 日時:2011年5月21日(土) 17時~19時30分
 資料代:500円

第二夜:ライヴペインティング+ゲストアーティストによるパフォーマンス+パーティ
 ライヴペインティング:石田尚志
 ゲストアクト:吉濱翔ほか DJパフォーマンスあり
 会場:Zスペース(沖縄市中央1-6-17-3F)
 日時:2011年5月22日(日) 18時(24時頃終了予定)
 入場料:一般1500円(1drink付き)

関連企画:海坂(うなさか)を辿って――詩と絵画をめぐる対話
 出演:矢口哲男(詩人)+石田尚志 司会:土屋誠一(沖縄県立芸術大学講師)
 会場:沖縄県立芸術大学 附属図書・芸術資料館 1階会議室(那覇市首里当蔵町1-4)
 日時:2011年5月20日(金) 18時~19時30分
 入場料:無料

主催:「石田尚志in沖縄」製作委員会
協力:沖縄大学地域研究所共同研究班

略歴
石田尚志:1972年東京都生まれ。映像作家・美術家。映像作品を国際映画祭等で発表する他、巻物状の絵画とその絵画の生成映像とを組み合わせたインスタレーションや、他分野の表現者とのライヴセッション、ライヴペインティングに積極的に取り組むなど、領域を自在に横断しながらの表現活動を展開している。近年の主な発表に、「Expanding the Frame」展(Walker Art Center, Minneapolis、2007)、ロッテルダム国際映画祭(2007、2008、2010)、「石田尚志とアブストラクト・アニメーションの源流」(東京都写真美術館、2009)、「あいちトリエンナーレ2010」など。ほか個展多数。現在、多摩美術大学准教授。  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 22:40

2011年04月14日

ピクニック

制作の翌日、石田氏と浦添の海へピクニックに行きました。




海を眺める石田氏







この日も、詩人、美術家、キュレーター、役者が集い、
なんだか面白いピクニックとなりました。


  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 17:38

2011年04月13日

制作風景vol.6

小休止。撮影スタッフには、芸大生、美術家、キュレーター、批評家など様々なジャンルの方々がそろい、石田氏の制作をサポートしました。




そのあと、石田氏移動。




撮影方法をカメラマンと相談。




制作開始!すさまじい勢いで走って行きます。


  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 10:41

2011年04月12日

制作風景vol.5

実行委員の土屋が何かを撮っています。




それは、砂に描かれた水の線。



ぐるぐるの渦となり、ゆらいだ線となり、水で描かれた跡がどこまでも続いていきます。  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 08:45

2011年04月11日

制作風景vol.4

ザブザブと海の中へ入って行きます。




ホースのようなもので描いています。




そのまま遠くまで行ってしまうよう。制作に集中する石田氏。


  


Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 22:53