
2011年04月30日
対談テキスト再録「空間における“闇”の条件」(1)
石田尚志氏と製作委員土屋の両名によって、2007年に実施された公開トークの対談録をアップしていきます。
この対談は、照明技術を使用するアーティスト山本圭太氏の作品をめぐってのものですが、石田尚志という作家の考え方の一面を、垣間見せる内容になっています。
この対談が文字化され掲載された媒体は、一般に流通するものではありませんでしたので、この再録は結構貴重なものです。
下記に、このテキストの掲載元の書誌情報を記しておきます。
・福島勝則監修『Concentric circle 方丈の美学 平成19年度 多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科 共同研究報告書』多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科研究室、2008年、30-55頁。
長いテキストですので、複数のエントリに分けて、掲載していきます。
土屋誠一・石田尚志「空間における“闇”の条件 公開トーク―2007年12月1日収録」
司会者:それでは2007年度映像演劇学科の共同研究「Concentric circle」のプロジェクトの一環として、今日は美術批評家の土屋誠一さんと、美術家であり映像作家である石田尚志さんをお招きして、「空間における“闇”の条件」をテーマに公開トークを開催いたします。それではよろしくお願いいたします。
石田:石田と申します。今回は山本圭太さんの作品の、3回目の展示にあわせての対談です。展示を通じて、光のある領域の成立、あるいは、ある領域の始まりの場所といったような、そういうものを見るきっかけを、皆さんと共有できたわけです。これは、方丈という言葉を通して闇と光、あるいはひょっとすると東洋と西洋という問題、そして、そもそも空間というのは一体何なのか、それから、身体というのはどういう問題を含んでいるのか等々、様々な切り口を考える場として場所そのものを提示する、そのような試みとして展開していくのがこのプロジェクトです。このプロジェクトはまだ途上なわけですが、われわれはそれを見て、あれは一体何なのだろうかということを考えていく場所になればなと思っています。
僕は、ここの造形表現学部の映像演劇学科で、圭太君とは日々接していまして、お互いいろいろな話をしている。彼の考えていることを、その作品や、言葉から少しずつ聞き出しているわけですね。そういう意味では僕のほうが先に話を進める立場かなと思いまして、その辺のところから話を進めたいと思います。
「方丈」と世界の認識
先日、圭太君に、「方丈って何?」と聞いてみました。それで彼は、「方丈記」なんだ、と言ったんです。つまりそれは、一つの場所、そして、ある限られたエリアですべてが、いわば宇宙が成立するということなのではないか。例えばこんな事態をイメージします。畳のあるところに机を置いて、そこで何かを書き連ねていく。そこではすべてが文字というものには還元され、そこにすべてが収斂していく、そんなイメージです。しかも、たった半畳ほどの場所で宇宙が成立するわけです。実際彼自身から、「方丈というのは宇宙なんだ」という一言を、つい先日聞きました。
畳の上で手を伸ばして、手の届く範囲で世界を区切っていこうとすると、それは一つの円の形を作ると思うんです。手というのを起点にして腕を回せば、円ができるわけですね。角度を変えて腕を回しても、そこにも一つの円ができるわけです。それは、変な言い方になりますけど、円がつくる方丈とでも言えばよいでしょうか。そこでは、円と正方形は同心円上に成立する。そんなところに、「方丈」の一つの入り口があるかもしれないなと思いました。それで、手を伸ばし、手が届く範囲での宇宙に対して、手の届かないところのもう一つの宇宙があるとして、それらが入れ替わるとしたらそのきっかけというのは、一体何なのかなと考えてみたんです。
ややこしいことに、圭太君はこの試みにおいて、光と闇という問題を設置しているわけです。それは、見える場所と見えない場所、あるいは見ることの閾から発生する、一つのイメージと言いましょうか。例えば展示の空間を見ると、四つの光源によって線が引かれている。その四つの光による線が、一つの結界のような形でクロスし合ったところに方丈ができるわけです。先ほど申した手が伸びていくイメージと、それとは別に光によって区切られていく方丈のイメージ。そこでは結界だけが光であって、あとはすべて闇に呑まれている。1回目の展示のときもそういったイメージが強くて、会場全体が真っ暗なところから始まって、煙がもうもうとしている中に線がゆっくり引かれていくんですね。線は一次元ですが、そこからもう一つの線によって面が形成されていく。会場にはスモッグが焚かれているので、面が四角形を作るのが見える。そして、面と面が合わさると、立方体になるわけです。そこから、柱のような感覚が生まれます。さらに言えば、身体的な奥行きとでも言うべきものが、そこに成立しているような気がしました。光によって身体的な奥行きを再確認すると同時に、そこには光が遮られる場所による空間という問題も含まれているように思います。
今申したような、手の話と、光と闇との問題がかかわるものとして、そんな問題に対して明確な問いかけをしてくれる絵として、僕はピカソの「青の時代」ある絵を思い浮かべます。ピカソという画家はキュビスムを推し進めることによって、絵画をある意味ものすごい形で崩壊させた男ですけれども、一方では、崩壊させた後にもう一度、20世紀を新しく始め直すきっかけを作った人でもあります。これはピカソの1903年の『盲人の食卓』という作品です。
この絵でまず驚くべきことは、この画中にいる男は、陶磁器の存在を手を伸ばすことによって認識することです。だから闇の中に彼はいる。けれどもその闇の中で、まさに方丈のような机に対して、何か一つの宇宙を再確認するような、いわば方丈の中の宇宙を自分の手によって探し出していくような仕草が描かれています。手を伸ばすことで宇宙に気がつく、手の届く範囲に宇宙があるというようなイメージで考えると、この絵がふっと思い浮かぶんですね。
今回改めてこの絵を見直してみてびっくりしたのは、この絵自体、全くの正方形だったことです。ピカソの「青の時代」からもう少し後の、抽象絵画の時代になると正方形のタブローがしばしば現れてくるんですが、正方形の絵画というのは結構珍しいことです。人間の目というのは、眼球がそうであるように、円で世界を見ている。だけど人間の目というのは二つありますから、その歪みの中で奥行きを作っているわけです。その奥行きを作る、重なり合った正方形というのが、長方形だと思うんです。実際、長方形の絵画の歴史のほうが、はるかに長いわけです。映画を見ますと、映画館のスクリーンというのも大体長方形ですね。そんなことを考えると、ピカソが正方形の中に手を伸ばす盲人の世界を描いたことが、とても面白いなと思ったわけです。
まずは話の導入として、この絵を挙げてみましたが、今回の話の中では絵画の問題は無関係ではないような気がします。方丈ということで考えると、四角い面の中で、世界を表象しようとしてきた絵画の歴史というのは、圭太さんの試みとも繋がるんじゃないでしょうか。
土屋:土屋です。今、石田さんから、今回の山本さんの作品の基本的なコンセプトが「方丈記」に基づいているというお話がありました。ご承知のとおり「方丈記」は13世紀、鎌倉時代に鴨長明によって書かれたものです。そこでいう「方丈」とは、組立てが簡便で、バラして持ち運びも可能だという、いわばモバイル・ハウスのようなものであるわけです。もう一つ、四畳半ということでいうと、いわゆる茶室は、村田珠光という坊さんが室町時代に、今に至る茶室の原型を作ったと言われています。その後16世紀、安土桃山時代に至り、千利休が作った「茶の湯」という形式が完成されていったというような歴史がある。山本さんの作品は、そのような歴史性をふまえつつ、日本の空間の経験の特有な条件というものを、光を使用してあぶり出すという試みであると言えるかもしれません。
さきほど石田さんが手を伸ばした範囲の空間という話をなさっていましたけど、畳とはまさに、人体のスケールに基づいて作られている。つまり一畳分あれば人一人が寝ることができるわけです。人体のスケールということで西洋の例を出せば、レオナルドの人体比例図のようなものを思い起こしてもよいでしょう。人体のスケールやプロポーションを基本的なモジュールとして、形体を考えるという歴史が、西洋にも根強くあるわけですね。人体のスケールやプロポーションを基本的なモジュールとして、空間あるいは形体というものを決定するという、近代以降の典型的な例ですけれども、例えばこれはル・コルビュジエの『モデュロール』です。このような西洋的な人体のスケールやプロポーションを基礎としたモデルというものと、東洋における畳という、同様に人体のスケールやプロポーションを基礎としたモデルとは、形体の決定という点において一致している。ただ、確かに原理としては同じなのかもしれないけれども、東洋と西洋という全く違う文化圏に基づいているわけですから、目指す理念としては異なると言うべきでしょう。
今回の対談のテーマが「空間における“闇”の条件」という話でどうでしょう、というオーダーを頂いて、パッと思いついたテクストがあります。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』というテクストです。これは1933年、昭和8年に書かれたもので、内容としては陰翳を礼讃しているわけです。そのまんまですけど(笑)。で、具体的に何を言っているかを、ごく大雑把にお話していきましょう。まず谷崎は、日本の住空間の環境が変容してしまったと言うんですね。何が変容したのかというと、光が変容したと言うわけです。日本が近代化の流れのなかで、西洋的な光――例えば電灯とか、蛍光灯といったものですね――が導入されることによって、日本の住空間が元来持っていた空間の明暗という特質が、ドラスティックに変化してしまった。西洋的な光が導入されたことはともかく、日本の家屋――数奇屋様式と言っていいでしょうけど――と西洋的な光源というものは、根本的に相容れないということを、谷崎はこのテクストの冒頭で述べています。
この対談は、照明技術を使用するアーティスト山本圭太氏の作品をめぐってのものですが、石田尚志という作家の考え方の一面を、垣間見せる内容になっています。
この対談が文字化され掲載された媒体は、一般に流通するものではありませんでしたので、この再録は結構貴重なものです。
下記に、このテキストの掲載元の書誌情報を記しておきます。
・福島勝則監修『Concentric circle 方丈の美学 平成19年度 多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科 共同研究報告書』多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科研究室、2008年、30-55頁。
長いテキストですので、複数のエントリに分けて、掲載していきます。
土屋誠一・石田尚志「空間における“闇”の条件 公開トーク―2007年12月1日収録」
司会者:それでは2007年度映像演劇学科の共同研究「Concentric circle」のプロジェクトの一環として、今日は美術批評家の土屋誠一さんと、美術家であり映像作家である石田尚志さんをお招きして、「空間における“闇”の条件」をテーマに公開トークを開催いたします。それではよろしくお願いいたします。
石田:石田と申します。今回は山本圭太さんの作品の、3回目の展示にあわせての対談です。展示を通じて、光のある領域の成立、あるいは、ある領域の始まりの場所といったような、そういうものを見るきっかけを、皆さんと共有できたわけです。これは、方丈という言葉を通して闇と光、あるいはひょっとすると東洋と西洋という問題、そして、そもそも空間というのは一体何なのか、それから、身体というのはどういう問題を含んでいるのか等々、様々な切り口を考える場として場所そのものを提示する、そのような試みとして展開していくのがこのプロジェクトです。このプロジェクトはまだ途上なわけですが、われわれはそれを見て、あれは一体何なのだろうかということを考えていく場所になればなと思っています。
僕は、ここの造形表現学部の映像演劇学科で、圭太君とは日々接していまして、お互いいろいろな話をしている。彼の考えていることを、その作品や、言葉から少しずつ聞き出しているわけですね。そういう意味では僕のほうが先に話を進める立場かなと思いまして、その辺のところから話を進めたいと思います。
「方丈」と世界の認識
先日、圭太君に、「方丈って何?」と聞いてみました。それで彼は、「方丈記」なんだ、と言ったんです。つまりそれは、一つの場所、そして、ある限られたエリアですべてが、いわば宇宙が成立するということなのではないか。例えばこんな事態をイメージします。畳のあるところに机を置いて、そこで何かを書き連ねていく。そこではすべてが文字というものには還元され、そこにすべてが収斂していく、そんなイメージです。しかも、たった半畳ほどの場所で宇宙が成立するわけです。実際彼自身から、「方丈というのは宇宙なんだ」という一言を、つい先日聞きました。
畳の上で手を伸ばして、手の届く範囲で世界を区切っていこうとすると、それは一つの円の形を作ると思うんです。手というのを起点にして腕を回せば、円ができるわけですね。角度を変えて腕を回しても、そこにも一つの円ができるわけです。それは、変な言い方になりますけど、円がつくる方丈とでも言えばよいでしょうか。そこでは、円と正方形は同心円上に成立する。そんなところに、「方丈」の一つの入り口があるかもしれないなと思いました。それで、手を伸ばし、手が届く範囲での宇宙に対して、手の届かないところのもう一つの宇宙があるとして、それらが入れ替わるとしたらそのきっかけというのは、一体何なのかなと考えてみたんです。
ややこしいことに、圭太君はこの試みにおいて、光と闇という問題を設置しているわけです。それは、見える場所と見えない場所、あるいは見ることの閾から発生する、一つのイメージと言いましょうか。例えば展示の空間を見ると、四つの光源によって線が引かれている。その四つの光による線が、一つの結界のような形でクロスし合ったところに方丈ができるわけです。先ほど申した手が伸びていくイメージと、それとは別に光によって区切られていく方丈のイメージ。そこでは結界だけが光であって、あとはすべて闇に呑まれている。1回目の展示のときもそういったイメージが強くて、会場全体が真っ暗なところから始まって、煙がもうもうとしている中に線がゆっくり引かれていくんですね。線は一次元ですが、そこからもう一つの線によって面が形成されていく。会場にはスモッグが焚かれているので、面が四角形を作るのが見える。そして、面と面が合わさると、立方体になるわけです。そこから、柱のような感覚が生まれます。さらに言えば、身体的な奥行きとでも言うべきものが、そこに成立しているような気がしました。光によって身体的な奥行きを再確認すると同時に、そこには光が遮られる場所による空間という問題も含まれているように思います。
今申したような、手の話と、光と闇との問題がかかわるものとして、そんな問題に対して明確な問いかけをしてくれる絵として、僕はピカソの「青の時代」ある絵を思い浮かべます。ピカソという画家はキュビスムを推し進めることによって、絵画をある意味ものすごい形で崩壊させた男ですけれども、一方では、崩壊させた後にもう一度、20世紀を新しく始め直すきっかけを作った人でもあります。これはピカソの1903年の『盲人の食卓』という作品です。
この絵でまず驚くべきことは、この画中にいる男は、陶磁器の存在を手を伸ばすことによって認識することです。だから闇の中に彼はいる。けれどもその闇の中で、まさに方丈のような机に対して、何か一つの宇宙を再確認するような、いわば方丈の中の宇宙を自分の手によって探し出していくような仕草が描かれています。手を伸ばすことで宇宙に気がつく、手の届く範囲に宇宙があるというようなイメージで考えると、この絵がふっと思い浮かぶんですね。
今回改めてこの絵を見直してみてびっくりしたのは、この絵自体、全くの正方形だったことです。ピカソの「青の時代」からもう少し後の、抽象絵画の時代になると正方形のタブローがしばしば現れてくるんですが、正方形の絵画というのは結構珍しいことです。人間の目というのは、眼球がそうであるように、円で世界を見ている。だけど人間の目というのは二つありますから、その歪みの中で奥行きを作っているわけです。その奥行きを作る、重なり合った正方形というのが、長方形だと思うんです。実際、長方形の絵画の歴史のほうが、はるかに長いわけです。映画を見ますと、映画館のスクリーンというのも大体長方形ですね。そんなことを考えると、ピカソが正方形の中に手を伸ばす盲人の世界を描いたことが、とても面白いなと思ったわけです。
まずは話の導入として、この絵を挙げてみましたが、今回の話の中では絵画の問題は無関係ではないような気がします。方丈ということで考えると、四角い面の中で、世界を表象しようとしてきた絵画の歴史というのは、圭太さんの試みとも繋がるんじゃないでしょうか。
土屋:土屋です。今、石田さんから、今回の山本さんの作品の基本的なコンセプトが「方丈記」に基づいているというお話がありました。ご承知のとおり「方丈記」は13世紀、鎌倉時代に鴨長明によって書かれたものです。そこでいう「方丈」とは、組立てが簡便で、バラして持ち運びも可能だという、いわばモバイル・ハウスのようなものであるわけです。もう一つ、四畳半ということでいうと、いわゆる茶室は、村田珠光という坊さんが室町時代に、今に至る茶室の原型を作ったと言われています。その後16世紀、安土桃山時代に至り、千利休が作った「茶の湯」という形式が完成されていったというような歴史がある。山本さんの作品は、そのような歴史性をふまえつつ、日本の空間の経験の特有な条件というものを、光を使用してあぶり出すという試みであると言えるかもしれません。
さきほど石田さんが手を伸ばした範囲の空間という話をなさっていましたけど、畳とはまさに、人体のスケールに基づいて作られている。つまり一畳分あれば人一人が寝ることができるわけです。人体のスケールということで西洋の例を出せば、レオナルドの人体比例図のようなものを思い起こしてもよいでしょう。人体のスケールやプロポーションを基本的なモジュールとして、形体を考えるという歴史が、西洋にも根強くあるわけですね。人体のスケールやプロポーションを基本的なモジュールとして、空間あるいは形体というものを決定するという、近代以降の典型的な例ですけれども、例えばこれはル・コルビュジエの『モデュロール』です。このような西洋的な人体のスケールやプロポーションを基礎としたモデルというものと、東洋における畳という、同様に人体のスケールやプロポーションを基礎としたモデルとは、形体の決定という点において一致している。ただ、確かに原理としては同じなのかもしれないけれども、東洋と西洋という全く違う文化圏に基づいているわけですから、目指す理念としては異なると言うべきでしょう。
今回の対談のテーマが「空間における“闇”の条件」という話でどうでしょう、というオーダーを頂いて、パッと思いついたテクストがあります。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』というテクストです。これは1933年、昭和8年に書かれたもので、内容としては陰翳を礼讃しているわけです。そのまんまですけど(笑)。で、具体的に何を言っているかを、ごく大雑把にお話していきましょう。まず谷崎は、日本の住空間の環境が変容してしまったと言うんですね。何が変容したのかというと、光が変容したと言うわけです。日本が近代化の流れのなかで、西洋的な光――例えば電灯とか、蛍光灯といったものですね――が導入されることによって、日本の住空間が元来持っていた空間の明暗という特質が、ドラスティックに変化してしまった。西洋的な光が導入されたことはともかく、日本の家屋――数奇屋様式と言っていいでしょうけど――と西洋的な光源というものは、根本的に相容れないということを、谷崎はこのテクストの冒頭で述べています。
Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 11:55