
2011年05月20日
「生の力あふれる芸術 「石田尚志 in 沖縄」に寄せて」
いよいよ今日から「石田尚志 in 沖縄」がスタートします。
まずは関連企画の矢口+石田トークが沖縄県立芸術大学で開催されます!
さて、昨日の『沖縄タイムス』に製作委員の土屋が寄稿した文章を転載します。
「生の力あふれる芸術 「石田尚志 in 沖縄」に寄せて」 土屋誠一
ことし4月初旬、晴れ渡った天候のもと、県内某所の砂浜で映像作品のための制作と撮影が行われた。砂上には作家自身の手によって、海からくみ上げられた海水で、次々に躍動する線が描かれていく。その線描の軌跡を、ヴィデオカメラのクルーが慎重に追っていく。春の陽光のなか、製作スタッフの面々がその様子を、固唾を飲んで見守っている。
緊張感のある現場ではあるものの、そこに立ち会っている面々には、なんとも説明し難い肯定的で前向きな雰囲気がみちあふれているように感じられた。この制作現場に入る前の、たった数週間前に起こった、東北地方太平洋沖地震での想像を絶する災害によって、言い知れぬ憂鬱を誰もが感じていたさなか、芸術が今まさに生起しようとしている場に立ち会うことは、ひとつの希望を指し示していたように思われる。芸術は、現実の不幸や悲惨に対して、直接的には無力以外の何ものでもないにもかかわらず、しかし、未来に向けての生きる力を、これほどまでに力強く提示できるのだ、と。
東京をその制作活動の拠点とし、国内外での評価も高い映像作家・美術家の石田尚志は、沖縄と浅からぬ縁を持っている。1972年生まれで、すでに短からぬキャリアを持つこの作家は、彼がまだ10代後半のころ、数年間沖縄に居住し、画家の真喜志勉氏から絵の手ほどきを受けていた。その後彼は、抽象的な線描によるアニメーション作品によってその作家としての評価を高めていくのだが、彼の美術家としてのスタートラインは、紛れもなく沖縄にある。
今回、「石田尚志 in 沖縄」と題して行う2夜にわたるイヴェントは、この作家の主要作品を見ることができる機会である一方、優れた芸術家が作品によって沖縄とどう対峙するか、そのひとつのあり方が示される場でもある。もちろん、先に記した県内で制作された最新の映像作品も、世界のどこよりも先駆けて県内で初公開される。このような憂鬱な時勢であるからこそ、生の力にあふれる芸術の発生の現場を目撃していただきたい。
出典:『沖縄タイムス』2011年5月19日
まずは関連企画の矢口+石田トークが沖縄県立芸術大学で開催されます!
さて、昨日の『沖縄タイムス』に製作委員の土屋が寄稿した文章を転載します。
「生の力あふれる芸術 「石田尚志 in 沖縄」に寄せて」 土屋誠一
ことし4月初旬、晴れ渡った天候のもと、県内某所の砂浜で映像作品のための制作と撮影が行われた。砂上には作家自身の手によって、海からくみ上げられた海水で、次々に躍動する線が描かれていく。その線描の軌跡を、ヴィデオカメラのクルーが慎重に追っていく。春の陽光のなか、製作スタッフの面々がその様子を、固唾を飲んで見守っている。
緊張感のある現場ではあるものの、そこに立ち会っている面々には、なんとも説明し難い肯定的で前向きな雰囲気がみちあふれているように感じられた。この制作現場に入る前の、たった数週間前に起こった、東北地方太平洋沖地震での想像を絶する災害によって、言い知れぬ憂鬱を誰もが感じていたさなか、芸術が今まさに生起しようとしている場に立ち会うことは、ひとつの希望を指し示していたように思われる。芸術は、現実の不幸や悲惨に対して、直接的には無力以外の何ものでもないにもかかわらず、しかし、未来に向けての生きる力を、これほどまでに力強く提示できるのだ、と。
東京をその制作活動の拠点とし、国内外での評価も高い映像作家・美術家の石田尚志は、沖縄と浅からぬ縁を持っている。1972年生まれで、すでに短からぬキャリアを持つこの作家は、彼がまだ10代後半のころ、数年間沖縄に居住し、画家の真喜志勉氏から絵の手ほどきを受けていた。その後彼は、抽象的な線描によるアニメーション作品によってその作家としての評価を高めていくのだが、彼の美術家としてのスタートラインは、紛れもなく沖縄にある。
今回、「石田尚志 in 沖縄」と題して行う2夜にわたるイヴェントは、この作家の主要作品を見ることができる機会である一方、優れた芸術家が作品によって沖縄とどう対峙するか、そのひとつのあり方が示される場でもある。もちろん、先に記した県内で制作された最新の映像作品も、世界のどこよりも先駆けて県内で初公開される。このような憂鬱な時勢であるからこそ、生の力にあふれる芸術の発生の現場を目撃していただきたい。
出典:『沖縄タイムス』2011年5月19日
Posted by 「石田尚志in沖縄」製作日誌 at 09:13